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アジアを茶旅して 

 

第11回 渋沢栄一と一緒にパリ万博に行った清水卯三郎
     

 
清水卯三郎

 

前回薩摩の五代友厚と紅茶について少し触れたが、実はその薩英戦争でイギリスの捕虜となった五代を救った男として、清水卯三郎に行き当たった。彼は五代(及び寺島宗則)を救っただけでなく、その後大久保利通の依頼を受けて、和平交渉までしていたというから驚く。更には今話題の渋沢栄一と共に幕末のフランスパリ万博に参加したとなると、どんな人物か知りたくなり、その生まれ故郷を訪ねてみた。

清水卯三郎は1829年、埼玉県羽生で酒造業を営む裕福な家に生まれた。清水家は明治の混乱で家業が傾き、卯三郎の生家は人手に渡ったといい、現在その地には生誕地の看板だけが建っている。またすぐ近くの市民プラザ前には卯三郎の像も建てられているが、こちらは最近のもので、その名を知る人が多いとは思えない。

 

 

     
     

卯三郎の墓は、元々東京世田谷烏山の乗満寺にあったが、1998年に故郷羽生の正光寺に移され、本堂脇に大きな墓碑と墓史が建っている。この寺には清水家歴代の墓もあり、卯三郎の祖父、誓信の墓碑は市の指定文化財となっており、地元では名家だったことが分かる。清水家は元小田原北条氏に仕えていた武士だったらしい。

その卯三郎、幕末ペリーと同時期にやってきたロシアのプチャーチンの下田来航時にロシア語を習得する機会を得て、そのまま江戸に出て蘭学を学ぶ。横浜開港と共に大豆の商売を始め、英語も習得し、1860年には『ゑんぎりしことば』という商人用英和辞典を出版しており、卯三郎は開港時の先駆者の一人と言ってよい。

1862年の薩英戦争時、イギリス公使ニールの通訳に選ばれ、その際に艦長に交渉して、五代らを救出。実は五代は率先して捕虜になったとも言われており、むしろ薩摩に追われる五代を羽生に連れ帰って匿っている。この時点で五代との間に茶の話が出たかは不明だが、五代の恩人は卯三郎だったことは間違いない。更に1864年には大久保に頼まれて、イギリスとの和平交渉まで行っているから、ただの商人とはとても思えない。

そして1867年のパリ万博。あの渋沢栄一が徳川昭武(慶喜の弟)に随行したパリ行に、卯三郎も商人総代として参加して、刀剣、屏風などの美術工芸品の他、茶も出品している。この万博で卯三郎を際立たせたのが、会場に設置した「茶室」であり、三人の日本女性を侍らせ、大いに人気を博した。その功績で時のナポレオン三世より、メダルを授与されたともいう。

この「茶室」を渋沢は茶店と呼んでおり、「檜造で六畳間に土間が添えられ便所もあり」(滞仏日記)と記している。三人の日本女性が茶を煎じ、酒なども置いて客の求めに応じて庭先で提供していたようだ。尚三人の女性は和服を着ており、江戸柳橋の芸者を連れてきていたというからすごい。彼女らはヨーロッパに渡った最初の日本人女性とも言われている。ただいわゆる江戸の水茶屋を再現したのではなく、あくまで日本的な見世物の演出とみられている。

 



卯三郎 生誕地


卯三郎の墓

       
       


パリ万博の茶店
(“THE ILLSTRATED LONDON NEWS”1867年11月16日 渋沢史料館蔵)


赤坂 勝海舟邸跡

 

卯三郎は商人として如何に多く集客するかを考えただけで、当然茶道における茶室の再現などは念頭になかっただろう。ただこのアイデアは横浜で外国人と接した経験から、何が好まれるかがよくわかっていたということだ。また日本茶の輸出のために茶も持ち込んでいたが、興味を示されなかったのか、その茶がどこで作られた、どんな茶だったかなどの記述は見つかっていない。

さて、長い航海の中で、同じ船に乗っていた渋沢と卯三郎はどんな話をしたのだろうか。同郷の二人、深谷と羽生は距離的にも近く、また商人として才覚もあったのだから、さぞや有意義な会話があったことだろうが、一緒に詩を作ったことなどしか知られていない。また当時埼玉でもかなりの茶生産があったはずだが、残念ながら深谷や羽生ではそれほど盛んでもなく、その輸出の話にはならなかったのだろう。

明治に入ると、卯三郎は東京で商売をする傍ら、森有礼らが創設した明六社で会計係を務め、福沢諭吉や西周ら、錚々たるメンバーと交流している。また1875年には日本で初めてアメリカから歯科医療器械を輸入販売し、歯科関係図書の出版なども行い、我が国の近代歯科医学に大いに貢献したという。これはフランスの帰りにアメリカに立ち寄った際に見たものがヒントとなり、商売に繋がったようだ。

卯三郎を調べていくと、更に意外な人物に突き当たる。何とあの勝海舟と非常に仲が良かったというのだ。勝が長崎海軍伝習所にいた折、お国のために役立ちたいと、長崎まで出掛けて伝習生になろうとしたらしい(残念ながら断られた)。しかも後年勝から事業や明六社の資金などで多額な借金もしていたというから、二人の間にはよほど信頼関係があったのだろう。こんな興味深い人のつながりを持ち、多彩な人物でありながら、今では完全に歴史に埋もれてしまった清水卯三郎。我々は彼のような人材を知らなくて、それでいいのだろうか。

 

 

     
    今回のおすすめ本
   


和華 第24号 特集:煎茶の世界

「黄檗宗開祖隠元禅師が日本に伝えた煎茶文化」のほか、煎茶道家元へのインタビュー、煎茶道具の紹介など。

   
     
 

 

須賀 努(すが つとむ)

1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。コラムニスト/アジアンウオッチャー。金融機関で上海留学1年、台湾出向2年、香港9年、北京5年の駐在経験あり。現在はアジア各地をほっつき歩き、コラム執筆中。お茶をキーワードにした「茶旅」も敢行。
blog[アジア茶縁の旅]

     

 

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